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2009年09月30日

トーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」





皆さん今晩は!
これからの30分間は、このFM81.4、FM西大和からお届けさせて頂きますラジオでROCK!「Radio nowhere」でお楽しみくださいませ。
お相手させて頂きますのは私、
DJ PON- CHANG!(ぽんちゃん)

で御座います!どうぞ宜しくお願い申し上げます!

それでは早速番組の方、進めていきたいと思いますが…。

まず、最初のコーナーは、ミュージックカレイドスコープのコーナー。

このコーナーでは、その時々の話題を、私の方でアトランダムにピックアップしては、それに因んだサウンドをオンエアーさせて頂くコーナーでは御座いますが。

さて今日は、1970年代はデヴィット・ボウイの「ジギー・スターダスト」に始まって、1980年発表のこのアルバムで終焉を迎え、また新たな時代の幕開けともなったと言われる程に強烈なインパクトを放ち、前にもご紹介したことかは思いますが、ミュージックマガジンの創刊40周年記念の別冊「アルバム・ランキング・ベスト200」の中でも第3位との高評価を受けては、今もって多くのロックファンを魅了して止まない “おしゃべり頭”こと「トーキング・ヘッズ」のアルバム「リメイン・イン・ライト」をご紹介したいと思います。

ロックとファンクを見事に融合させ、その後の時代の行方に大きな影響を及ぼしたとされるエポックメーキングなアルバム「リメイン・イン・ライト」。

この画期的なアルバムを作り上げたのは、その昔、ニューイングランドの植民地だったアメリカは東海岸、ロードアイランド州にある、アメリカ切っての名門美術大学とされるデザイン学校の学生だったデヴィット・バーンとクリス・フランツが1974年に「ジ・アーティステック」なるバンドを結成、その後、紅一点のベーシスト・ティナ・ウェイマスと、さらに1977年、ニューヨークに3人が移住してから参加した、元モダン・ラヴァーズのドラマーだったジェリー・ハリスンの4人が揃ったところで、正式に活動をスタートした「トーキング・ヘッズ」で御座いまして~。
結成当初は、パンク、ニューウェイヴのメッカであったライブハウス「CBGB」を拠点に活動。1977年にはサイアー・レコードと契約を果たし、驚きの事実ではあるが、何とあのジョン・ボンジョヴィの伯父さんである「トニー・ボンジョヴィ」(何か“サイザンス”で御馴染みのトニ-谷さんみたいで胡散臭い感じがしますが…。あ、すいません。谷さん!)のプロデュースのもと、「サイコキラー‘77」でデビュー。商業的な成功は得られずとも、バーンの描く神経症的な歌詞とヴォーカル、そして抑制の利いた冷たい皮膚感覚を持つサウンドが、その頃の時代の空気とマッチして、NYのパンク、ニューウェイヴシーンの一角を担うバンドとして受け入られることとなった。その後、プロデューサーにあの元ロキシーミュージックのブライアン・イーノを招き、1978年には「モアソングス」、そして1979年には、何とプログレ親爺、「キング・クリムゾン」のロバート・フリップをゲストに招き、初めてアフロファンクに挑戦した楽曲「イ・ズィンブラ」が冒頭収録されていることでも話題を集めた「フィア・オブ・ミュージック」を制作、更にイーノのアイディアからその発展形として、大胆にもワンコードのみを使用、終始一貫して、アフリカン・ポリリズムを追求した超実験的なアルバムとも言える、今日ご紹介の1980年発表の「リメイン・イン・ライト」と至り、今日のミニマルミュージックの素地を築き上げるとともに、ロックシーンにおいて一大金字塔を打ち立てることになった訳です。
残念ながらトーキング・ヘッズは1991年に解散してしまいましたが、現在においてもデヴィットとその他のメンバーも健在で、個々の活動に精を出しておりますので、是非興味のある方は追っかけてみてください。デヴィット曰く再結成は死んでもないそうですが…トホホ。
~と言うことで、それでは今日は、そんな名作と誉も高い「トーキング・ヘッズ」の「リメイン・イン・ライト」の中から「ヒート・ゴーズ・オン」(ボーン・アンダー・パンチズ)「ワンス・イン・ア・ライフタイム」の2曲を聴いてください。それではどうぞ!「トーキング・ヘッズ」です。





(10・4オンエアー分)

  


Posted by footstomp at 01:26Comments(0)ROCK・音楽