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2009年05月28日

ラッドウインプス、ゴッド・スピード・ユー!ブラックエンペラー





皆さん今晩は。
これからの30分間はこのFM81.4、FM西大和からオンエアーされます「ラジオでロック レディオノーウェア」でお楽しみ下さい。お相手させて頂きますのは私、DJ・PON-CHANG!(ぽんちゃん)で御座います。どうぞ宜しくお願いします。

それでは早速番組の方進めて行きたいと思います。

先ず冒頭はお馴染み、私・ぽんちゃんがアト・ランダムにその時々の話題をピックアップしては、それに相応しい音楽をお届けするミュージックカレイドスコープのコーナーでございますが。

さて、今日は久方振りに、昨今、日本のメジャーロックシーンを賑わせている若手アーティストに注目しまして、そのサウンドをお届けしたいと思いますが~。

で、今回取り上げますのは、アメリカからの帰国子女で、現在、慶応大学に在籍中というVo/Gの野田洋次郎クンを中心とする
『ラッドウインプス』

というバンドで御座いまして、特に今年3月11日にEMIミュージックジャパン(旧・東芝EMI)から発売となりましたフルCD「アルトコロニーの定理」、これが実によく出来た作品で、若い世代の方々はもう十分ご存じでしょうが、私と同じく40歳代以降の方々の中には、全くラッドなんて耳にしたこともないとおっしゃる向きも多々いらっしゃることかとも思いますので、是非、今日は、その音源をご用意させて頂きましたので、「百聞は一見にしかず」というか、この場合は一聴しかずということになりますが、そのサウンドに耳を傾けて頂きたいと思っております。





それでは、兎に角、先ずは1曲お試しあれと言うことで、昨年1月23日に早々と1stシングルとして発売になり、翌月2月8日にはオリコンチャートで、バンド初の第1位の栄冠に輝きました「オーダーメイド」。この曲を聴いて下さい。それではどうぞ!    

先ずはラッドウインプスで「オーダーメイド」を聴いて頂きました。
それでは、ここで番組恒例となりましたバンドのプロフィールについて簡単にご紹介させて頂きますと、ラッドウインプスは2001年にVo/Gの野田クンが中学時代の友人とバンドを結成したのがそもそものスタートで、横浜市にある桐蔭学園在学中の2003年7月には1stアルバム「ラッドウインプス」を現在のメンバーと違う顔ぶれの5人組で発表。しかし、高校3年であった野田クンは受験の為に(真面目ですね!)一旦バンド活動を封印し、翌年、あの仮面ライダーカブト「水島ヒロ」クンと同じ『慶応大学』に進学したところで、バンド活動を再開。メンバーは野田クンの他、Gの桑原彰クンに加えて、新たにBの武田祐介クン、Dの山口智史クンというメンバーが参加して現在のラインナップとなる訳です。バンドのメンバー全員が洋楽ではレッチリが好きがと言うことで共通しており、また邦楽のロックアーティストではバンプ・オブ・チキンやドラゴンアッシュなどをフェイバリットアーティストとしているが、リズム隊の2人が洗足(せんぞく)学園音楽大学ジャズ科出身ということも、大いに関係しているのかも知れないが、ラッドの楽曲アレンジや演奏パターンには、他のグループにはないようなバリエーションの拡がりが見てとれて、またVoの野田クンが書く歌詞にしても、語彙が豊富で、ユニークな視点に裏打ちされた内容のものが多く、そういった点が他者と比較しても頭ひとつ抜きん出たような印象を与える特徴になっている様な気がします。
では「あるところに」という言葉を文字ってタイトルとなった、今年3月11日発売の通算5枚目、メジャーにおいては3枚目のアルバムにカウントされる非常にクオリティーの高い作品「アルトコロニーの定理」から、シングルとしてリリースされた、私自身、手前勝手にエイドリアン・ブリュー加入後のキングクリムゾンの演奏を連想しては(アルバム・ビート以降~)ラッドに注目するきっかけとなったナンバーである「おしゃかしゃま」を聴いてください。それではどうぞ!ラッドウインプスです。



おしゃかしゃま(Music/Words 野田洋次郎)


「カラスが増えたから殺します さらに猿が増えたから減らします でもパンダは減ったから増やします けど人類は増えても増やします 
僕等はいつでも神様に願って拝んででもいつしかそうさ 僕ら人類が神様に気付いたらなってたの 何様なのさ 僕は見たことはないんだ あちらこちらの絵画で見るんだ さらに話で聞いてる神様はどれもこれも人の形なんだ 偶然の一致か 運命の合致 はたまた 自分勝手スケッチ あっちこっちそっちってどっち?いったいどうなってるんダ・ヴィッチ

来世があったって 仮に無くたって だから何だって言うんだ 生まれ変わったって 変わらなくたって んなぁこたぁどうだっていいんだ 
人はいつだって 全て好き勝手 なんとかって言った連鎖の上に立ったって なおもてっぺんが あるんだって言い張んだよ
天国行ったって 地獄だったって だから何だって言うんだ 上じゃなくたって 下じゃなくたって 横にだって道はあるんだ」


ラッドHP


http://www.emimusic.jp/radwimps/
                                      
続きましては、キーワードAtoZのコーナー。

このコーナーは、アルファベットを順に追いながら、たとえばその頭文字がAならAC/DCといった風に、新旧洋邦問わず、無作為にアーティストやバンドをピックアップしてご紹介させていただくコーナーで御座いますが。





さて今回は、頭文字にアルファベットのGが来るバンドということで、先々週に登場したギャング・オブ・フォーと同じく、ポストパンクの範疇に位置するアーティストとして大別されている、カナダはモントリオールで1994年に結成され、その活動をスタートしたバンド
「ゴッド・スピード・ユー!ブラックエンペラー」

をご紹介したいと思います。
グループ名については、今、ラジオをお聴き頂いているリスナーの中にもピンと来られた方は多いかとは思いますが、この名称は1976年、柳町光男監督がメガホン片手に追いかけた、今や伝説として、その名を残す日本の暴走族「ブラックエンペラー」のドキュメンタリー映画のタイトルからそっくりそのまま取られたもの。因みにブラックエンペラーは「叫び」というタイトルの、ベストセラーになった写真集を通じても御馴染みな暴走族で、現在、俳優として芸能界で活躍されている「宇梶剛士」氏が、このグループで総長をしていたのは有名な話で、この写真集にもその当時の勇姿(?)が収められているそう。で、全くの蛇足ですが、当時、エンペラーの他に、東京や千葉を拠点として「新宿スペクター」と言う大きな暴走族があって、当時、このスペクターとエンペラーが夜な夜な都内など舞台に、頻繁に衝突していたようなことを、朧ろ気ながら、私個人としては覚えていますが…。
で、話が少し横道にそれましたが、バンドの方はと言うと、エフリム・メナックという男性を中心に、基本的には3人のギターと2人のベース、そしてドラマーに、ヴァイオリニスト、チェリストの9人という構成で演奏するのを原則としているようで、エフリムとマルロというメンバーのみがパーマネントなメンバーでその他のメンバーについてはかなり流動的な状態になっているそう。
アルバムは今日ご紹介する1stアルバム「f#a#∞」
(エフシャープエイシャープインフィニティ)を含め4枚のアルバムを発表しているが、2002年発表の4枚目「ヤンキーU.X.O」以降はアルバムの発売もなければ、活動に関する詳しい情報も全くない状態になっています。
それでは、「ポストパンク」と称されながらも、パンクならではの破壊衝動や暴力衝動の片鱗など一切垣間見せず、ただ只管に、暗黒に満ちた神経症的な世界観を、静謐な演奏で構築していく、その点で行けばプログレのような感じも致しますが、兎に角、そんな「ゴッド・スピード・ユー!ブラックエンペラー」のサウンドを、時間の許す限りお届けしたいと思います。
曲は「ザ・デッド・ブラック・ブルース」。では、聞いてください!「ゴッド・スピード・ユー!ブラックエンペラー」です。どうぞ!
                        

ラジオでロック”「Radio Nowhere」

この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

E-MAIL 
post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
郵便物〒636-8555 FM 81.4(ハイホー)





http://park2.wakwak.com/~zep/hp.html


さて、最後は
「ノック・オン・ザ・ヘヴンズドア」

のコーナー。蘇る古のスーパースターのコーナーで御座いますが、今日は、アメリカ市場への進出失敗に対する不満から1969年にスモールフェイセズを脱退。その後、ピーター・フランプトンの呼びかけに応じ、ハンブル・パイに参加しては、英国ロックシーンの歴史に名ギタリストとしての足跡を刻みつけるも、1991年4月、44歳の若さで、煙草の火の不始末から英国はエセックスの自宅で「焼死」という非業の死を遂げた『スティーヴ・マリオット』を偲んで、
「ハンブル・パイ」

の曲
「デスペレイション」

を聴きながらお別れしたいと思います。
それでは皆さん、また来週。お相手はDJ・PONーCHANG!
(T・KARAKAMA)
でした!

(5・31オンエアー分)



  


Posted by footstomp at 00:32Comments(0)ROCK・音楽

2009年05月19日

忌野清志郎さん追悼特集②






皆さん今晩は。
これからの30分間はこのFM81.4、FM西大和からオンエアーされます「ラジオでロック レディオノーウェア」でお楽しみ下さい。お相手させて頂きますのは私、
DJ・PON-CHANG!(ぽんちゃん)

で御座います。どうぞ宜しくお願いします。face02

それでは早速、番組の方進めていきたく思いますが。

さて、今週も先週に引き続きまして、今月2日に『がん性リンパ管症』で他界、9日には東京・青山葬儀場で竹中直人氏や甲本ヒロト氏などのロッキンな芸能人仲間のほか、一般の弔問客も4万人以上も集めては、まさに『青山ロックンロールショー』と呼ぶに相応しい華やかなセレモニーで、現世における有終の美を飾ってくれました、日本が世界に誇るグレイトソウルマン
『忌野清志郎』

さんを偲び、今回は極力トークは抑えて、少しでも多くの曲をご紹介する形で『追悼特集』の方、お送りさせて頂こうと思っております。
では先ず頭はやはり景気の良い賑やかでファンキーなナンバーから行きましょうか。
プロデューサーにかのブッカー・T.&ザ・M,G,’sのギタリストだった「ストラトの名手」スティーヴ・クロッパーを迎え制作し、2006年に発表となったアルバム「夢助」から
「激しい雨」

、そして「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」に付けた日本語の歌詞が反核・反原発の内容だったことから、親会社を日本の原子炉サプライヤーとする東芝EMIがアルバムの発売を拒否、その為に話題騒然となった、私も大好きな反骨精神に満ちたこれぞまさしくロックの見本ともいうべきアルバム「カバーズ」からジョニー・リヴァースを原曲とする、坂本冬美とジョニーサンダースという異色のゲストもびっくりの大韓航空機爆破事件を題材とした
「シークレット・エージェント・マン」

の2曲をお聞きください。イマーノさんです。どうぞ!



http://www.youtube.com/watch?v=q_vKH8Zx9Rc(you tube 激しい雨)



夢助



カバーズ                                          

はいと言うことで「激しい雨」と坂本冬美さんのこぶしも素晴らしい「シークレット・エージェント・マン」を聴いて頂きました。続きましては光進社から2000年9月に初版本が発売となった清志郎さんの異色エッセイ「瀕死の双六問屋」についているCDから、別れてしまった彼女を思っては「伝えたいことがあるのさ」と、冷たい雨が降る暗い夜の中、訴えてみせる切ないナンバー
「遠いシナリオ」

と一発録りのダイナミズムに溢れた1981年発表の、私がカバーズとともにこよなく愛して止まないアルバム「Blue」から、チャボがRC以前に在籍していたグループ「古井戸」のナンバーであった「飲んだくれジョニィ」を改めて手直しした
「ジョニーブルー」


「多摩蘭坂」

の3曲を聴いてください!どうぞ!





瀕死の双六問屋  
      





“ラジオでロック”「Radio Nowhere」

この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

E-MAIL 
post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
郵便物等… 〒636-8555 FM 81.4(ハイホー)FM西大和
“ラジオでロック”「Radio Nowhere」の係と明記してお送り下されば、私の手元に届くかと思いますので、またリスナーの方々是非とも挙ってお送りくださいませ。

 さて、最後にもう一度、今回の清志郎さんの訃報に際し、慎んでお悔やみ申し上げると共に、常に第一線で、体を張って色々と示唆に富む創作活動を行い、今日に至るまで日本のロック界を牽引してきてくれたその功績を讃え、本当に有難う御座いますとお礼を申し上げて乍ら、もう1曲、清志郎さんのナンバーをお掛けして、今晩はお別れしたいと思います。曲は懲りもせず3度目の発売禁止の憂き目を見て、インディーズのスイムレコーズから発売となった、ブームタウンラッツのジョニー・フィンガースのギターも熱い
「君が代」

です。face08
それでは皆さん、また来週!お相手は
DJ・PONーCHANG!

でした。
シー・ユー・ネクスト・ウィーク! バイバイ!







(5・24オンエアー分)





  


Posted by footstomp at 00:40Comments(0)ROCK・音楽

2009年05月14日

忌野清志郎さん追悼特集①





皆さん今晩は。
これからの30分間はこのFM81.4、FM西大和からオンエアーされます
「ラジオでロック レディオノーウェア」

でお楽しみ下さい。お相手させて頂きますのは私、
DJ・PON-CHANG!(ぽんちゃん)

で御座います。どうぞ宜しくお願いします。
それでは早速番組の方進めて行きたいと思いますが~

さて本日は、通常のメニューを変更して、今月2日に残念ながら『がん性リンパ管症』のために、58歳の若さにして亡くなってしまった、「雨上がりの夜空に」「僕の好きな先生」等の楽曲で御馴染みの、日本のROCK界が生んだ偉大なるソウルマン
『忌野清志郎』

さんを偲んで、生前遺された数々の名曲の中から、幾つかの楽曲をチョイスしては、リスナーの皆様と共に聴いて行きたいと思っております。





では先ず、1968年、東京都立日野高校に通いつつ、同級生などと共に組んでいたバンド「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」を解散。改めてその名を「リメインダーズ~」の省略形である『RCサクセション』に変更しては、再び音楽活動をスタート。(一説によれば「ある日、バンドを作成しよう」という思いつきそのままを文字ってグループ名にしたとするエピソードもあるが…果たしてどちらが正解か今となっては判りませんが~)そういった流れの中で、1970年には東芝音工(現EMI)と契約し「宝くじは買わない」という曲で、目出度くもシングルデビューを飾り、プロとしての活動をスタートしたRCサクセション、清志郎氏で御座いますが~。
それでは、そんな初期のRCサウンドに触れて頂くという意味で、デビューシングルの「宝くじは買わない」と、1976年4月に発表されるも一旦廃盤、しかし音楽評論家・吉見佑子さんの働き掛けによる署名運動が実を結び、1980年には念願の再発となった名作LP「シングルマン」から「ヒッピーに捧ぐ」の2曲を聴いてください。どうぞ!



                                          

 先ずは1stシングル「宝くじは買わない」と初期の名作LP「シングルマン」から「ヒッピーに捧ぐ」を聴いて頂きました。
 さて、破廉ケンチ(G)と小林和生(リンコ・ワッショー・B)というメンバーと共に3人組のフォークグループといった体裁で活動を開始したRCですが、1974年には、当時マネージャーを務めていた奥田義行氏が、所属事務所である「ホリプロ」から「井上揚水」を連れて独立し、新事務所「りぼん」を設立。その騒動に巻き込まれRCは仕事を干されることとなってしまう訳です。その後、RCは暫し厳しい冬の時代に晒されることになるのですが、しかし、1978年には清志郎さんとは旧知の仲であった古井戸のギター、チャボこと仲井戸麗市氏を筆頭に、演奏力抜群の強力な布陣で、完璧なエレキロックバンドとして再生。1980年は老舗ライブハウス東京・渋谷「屋根裏」で4DAYSのLIVEを敢行。800人を動員して同ライブハウスの動員新記録を樹立する。そしてここからRCの快進撃は始まり、ライブでは「日本のストーンズ」という異名を得、日増しにその人気もうなぎ昇り。1982年には、清志郎と当時YMOで活躍、国際的にも高い評価を博していたミュージシャン・坂本龍一氏とのコラボシングル「いけないルージュ・マジック」が大ヒットするなどの要因も相俟って、RCは日本のロックシーンを代表するバンドとされ、名実共に大きなメタモルフォーゼを遂げることになる。
というところで、今度は1980年5月21日に発売となったシングルの両面を聴いて頂きたく思います。曲は「若者の勤労意欲を削ぐ」という中小企業のオヤジ様からのクレームによって、当時、有線放送で放送禁止になった「ボスしけてるぜ」とちょっとHな歌詞の「キモちE」をお聞きください。どうぞ!


“ラジオでロック”「Radio Nowhere」

この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

E-MAIL 
post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
郵便物等~ 〒636-8555 FM 81.4(ハイホー)FM西大和
ラジオでロック”「Radio Nowhere」と明記してお送りくださいね!





さて、清志郎さんはそのステージ上から、頻繁に「愛し合ってるかい~」という呼びかけをオーディエンスに向かって行っていましたが、少しネタばらしをしますと、これは清志郎さんが敬愛してやまなかったオーティス・レディングの台詞を日本語に直訳し、借用していたものということなんですけども、正直言えば、こういった台詞も含め、私は当初RCというか、清志郎さんの、余りに明け透けで、不器用にも映る「言語感覚」に対し拒絶反応を示しては、距離を置いて来たのですが、それも時代を追う毎に、自然とその意図するところが理解出来てきまして、実は海外のミュージシャン達が表現してきた内容を、ダイレクトに日本語に置き換えて、そのニュアンスを自らの作品中で結実させて行こうとする実験的な精神に基づくものだということに気付き、その点でいけば、非常に画期的な試みにチャレンジし、ロックという舶来製品に上手く日本語をマッチさせた第一人者だったのではと、改めて独ごちては、偉そうに評価させて頂いている訳では御座いますが。
そんな思いに基づくものかどうかと言うのは別としても、私としては、その集大成的な作品として捉えることも出来るではないかということで、大いに価値を見出しております、1988年8月29日付けで、オリコンアルバムチャートにおいて第1位を獲得しました「カバーズ」という反骨精神旺盛なアルバムの中から、本日最後の曲として、ジョニー・サンダースと金子マリがゲスト参加している、バリー・マクガイアをオリジナルとする
「明日なき世界」

、この曲のカヴァーをお掛けしてお別れしたいと思います。

しかして、たかだか30分位の時間では、当然多作であった清志郎さんの作品の一部をもご紹介することなど出来る筈もないのは、私としても重々合点承知の助ということで、この追悼特集に関しては、来週も引き続きお送りしたいと思っております

それは皆さんまた来週。お相手はDJ・PONーCHANG!でした。
シー・ユー・ネクスト・ウィーク! バイバイ!





(5・17オンエアー分)



  


Posted by footstomp at 00:53Comments(0)ROCK・音楽

2009年05月06日

ピーター・フランプトン/ギャング・オブ・フォー





皆さん今晩は。
これからの30分間はこのFM81.4、FM西大和からオンエアーされます「ラジオでロック レディオノーウェア」でお楽しみ下さい。お相手させて頂きますのは私、
DJ・PON-CHANG!(ぽんちゃん)

で御座います。どうぞ宜しくお願いします。

それでは早速番組の方進めて行きたいと思います。

先ず冒頭はお馴染み、私・ぽんちゃんがアト・ランダムにその時々の話題をピックアップしては、それに相応しい音楽をお届けする
ミュージックカレイドスコープ

のコーナーでございますが。

さて今日は、今から33年前の1976年に発表となった
「フランプトン・カムズ・アライヴ」

で1000万枚という驚異のレコードセールスを記録し、一躍スーパースターの座に登り詰め、アイドルのような容貌も手伝って「ロック界の貴公子」と、何かミッチー・及川光博の如き扱いを受けては(勿論、全然規模というか、レベルは違いますが…)、当時のギャルのハートを鷲掴みにしてみせては、一世を風靡した金髪ロン毛の英国産ミュージシャン(今は大分、黄昏れちゃってますが。トホホ)
『ピーター・フランプトン』

をご紹介したいと思います。
ピーター・フランプトン~。
彼は1950年4月22日、イギリスはベッケンハム生まれの59歳で、来年にはもう赤いチャンチャンコが必要な60歳、還暦となるアーティストで御座いまして、『ロック界の貴公子』なんていう称号も今は昔と言ったオジンでありまして、我々の世代40~50歳代の人間には実に馴染み深いアーティストでは御座いますが、今の30代や20代の若い人達は全く知らないでしょうな。
ということで、簡単にその横顔なぞご紹介させて頂きますと、彼、ピーター・フランプトンは、プロのギタリストとしての経験を持つ父親の影響もあってか、実に音楽的には早熟な人物でありまして、8歳の時には、大好きなベンチャーズを手本にマスターした自慢のギターを携えて、ボーイスカウトのバラエティ番組に登場し、クリフ・リチャードの「ア・ガール・ライク・ユー」等々をプレイし、当時の大人達の度肝を抜いた訳で御座います。
で、1966年、16歳の頃になると、POPアイドルバンド「ザ・バード」(元々はプリーチャ―ズと言う名前で、元ストーンズのビル・ワイマンのプロデュースでデビューした。)に参加し、当時イギリスで大人気だったTVの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演。たちまちその甘いルックスから女の子達の黄色い歓声を一身に浴びる存在となり、音楽雑誌などでは「1968年の顔」と持て囃されることとなる。が、当人からすればこの扱いは、非常に迷惑千万極まりないものだったようで、勢いザ・バードを脱退。そして翌年、元スモール・フェイセズのスティーヴ・マリオットと共に『ハンブル・パイ』を結成する。しかし、ここでも徐々に音楽的主導権を握り、ソウルフルな方向にバンドを誘っていったマリオットのやり方に違和感を覚え、グループを脱退し、ソロアーティストに転向して行く。1974年からは、ひとりで地道に全米各地を音楽行脚。これが実を結び、1976年には全米各地でのライブ演奏を纏め上げた作品「フランプトン・カムズ・アライヴ」が、音楽ファンから爆発的な支持を得て、誰もが驚く1000万枚販売というオベリスクを打ち立てることになる訳です。で、当然、翌77年に発表の「アイム・イン・ユー」もこれまた大ヒットし、この勢いのまま銀幕の世界にも進出。ビージーズのギブ兄弟と共に映画「サージェントペパーズ」にも出演して、その人気を不動のものにした訳です。
しかし、1980年代に入ると、明けても暮れてもフランプトンといったバブル人気も自然と沈静化。その後は高校の先輩に当たるD・ボウイのツアーギタリストなどを経て、2006年発表のインストアルバム「フィンガー・プリンツ」が2007年のグラミー賞でラリーカールトンなどの凄腕ギタリスト達のアルバムを見事に抑えて、その年のベスト・ポップ・インストゥルメンタル・アルバムに選ばれ、彼自身が望んで止まなかったギターレジェンドとしての確固たる地位を手中に収めることになり、今日においてもまだまだ現役ギタリストとして活動し続けているのです。





~というところで、ではでは、ここでフランプトンの人気が最もピークだった頃に発表された作品を何曲かお掛けしたいと思います!まずはフランプトンと言えばトーキング・モジュレーターの名手としても名高いギタリストでありまして、その魅力も十二分に堪能できる、カムズ・アライヴに収録の、シングルとしても大ヒットを記録した「ショー・ミー・ザー・ウェイ」、そして1977年の大ヒット曲で、彼の甘い歌声が何処までも優しく心に満ちて行く珠玉のラブソング「アイム・イン・ユー」、以上の2曲をお届けしたいと思います。
それでは聴いてください。フランプトンです。どうぞ!

                                      

続きましては、
キーワードAtoZ

のコーナー。

このコーナーは、アルファベットを順に追いながら、たとえばその頭文字がAならAC/DCといった風に、新旧洋邦問わず、無作為にアーティストやバンドをピックアップしてご紹介させていただくコーナーで御座いますが。





さて今回は、頭文字にアルファベットのGが来るバンドということで、ポストパンクの代表格として英国のロックシーンに彗星の如く現れた、中国で起こった文化大革命の後期をリードした江青女史などで御馴染みの「四人組」から、そのグループ名を拝借したとされる
『ギャング・オブ・フォー』

にスポットを当ててお送りしたいと思います。

1977年、イギリスはリーズで結成されたギャング・オブ・フォーは、アンディ・ギル(G)、ジョン・キング(Vo)、デイヴ・アレン(B)、ヒューゴ・バーナム(Dr)の4人から成るバンドで、3コードの単純な構成によるアグレッシヴなパンク・サウンドがイギリスの音楽シーンを牛耳る中、彗星の如く現れては、アメリカのバンドである「BIGBLACK」の「スティーブ・アルビニ」氏(ニルヴァーナのプロデューサーとしてもお馴染み)のギターに影響を受けたと思われる、全てを破壊的に寸断するようなシャープなカッティングとうねる様なファンク・ビートで一種独特のダンスミュージックを構築しては、そこに政治的な歌詞を載せて、まさにミュータント的なサウンドを奏でるオリジナルな存在として注目を集めることになった。しかし、1stアルバム『エンターテイメント』が最高傑作と評されるように、セカンド以降はメンバーも変わり、その勢いも失速の一途を辿り、1984年には解散。その後、1990年に再結成しては、解散、再結成を繰り返し今日に至っている。
では、今日は歴史的名盤、REMやニルヴァーナ、そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズなど、現在のロックシーンにおいて重要な位置を占めているポストパンクの代表格的なバンド達に、大いなる影響を与えたとされる彼らギャング・オブ・フォーの衝撃の1stアルバム「エンターテイメント」から、「ダメージドグッズ」「アット・フォーム・ヒ―ズ・ア・ツーリスト」
の2曲を聴いて頂きます。それではどうぞ!ギャング・オブ・フォーです。

                                       


ラジオでロック”「Radio Nowhere」

この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

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post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
郵便物〒636-8555 FM 81.4(ハイホー)

またこの番組の詳細に関しては以下のブログにてご確認いただけます!

●奈良発。無料地域ブログポータルサイト「ナラ咲く」
http://radionowhere2.narasaku.jp/

●神戸のブログポータルサイト「ko-co」
http://radionowhere.ko-co.jp/

それと、FMハイホー携帯サイトがオープン!
FMハイホーHP上のQRコードでアクセスいただくか、空メールを…
office@fm814.co.j p
に送信して頂ければプレゼントや地域に関する事柄など素敵な情報が満載のサイトとアクセスして頂けます!是非ご活用下さいね!



さて、最後は、この間も少しお伝えさせて頂きましたけども、今一度、改めてということでご案内したいのですが、この番組で過日、ご紹介しました
Thee Out Mods

さんのCD、これまでは奈良県下の店舗では、残念ながら取り扱いがなかったのですが、この度、遂に
『JEUGIA(十字屋)・奈良近鉄店』でお買い求め出来るようになりました。

是非、またご利用下さいね。ということで、今日は
Thee Out Mods


「ロクデナシ」

をお掛けしてお別れしたいと思います。
また来週も時間が来ましたら、FMハイホー、FM西大和にダイヤルを合わせて頂きまして、この「ラジオでロック レディオノーウェア」を楽しんでくださいね。
それでは皆さん、また来週。お相手は
DJ・PONーCHANG!

でした。
バイバイ!
(5・10オンエアー分)


  


Posted by footstomp at 12:22Comments(0)ROCK・音楽

2009年05月03日

キヨシローさん。どうもありがとう。





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000100-mai-soci

偉大なるソウルマン・
忌野清志郎

さんが、2日午前0時51分、がん性リンパ管症の為にお亡くなりになったとの信じられない訃報を前に…絶句してます。

享年59歳(満58歳)

何事に対しても泰然自若。気負いのない、飄々としたボスが大好きでした。

これまで、われわれファンを楽しませてくれて本当に有難う御座います、そして、お疲れ様でした。

向こうでも~♪ソウルフルな良い歌♪~をガッタ、ガッタ!シャウトしてください!


気のきいた手向けの言葉も思い浮かびません。
本当に悲しいやら、悔しいやら、情けないやら~

また、そのうちにお会いしましょうね。

それまで、また~

さようなら。

(清志郎さんHP地味変)
http://www.kiyoshiro.co.jp/

以下、HP上の告知です。

訃報

かねてより病気療養中であった忌野清志郎ですが、
癌性リンパ管症のため5月2日午前0時51分享年58歳にて逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼に深謝し謹んでご通知申し上げます。
追って告別式は下記のとおり執り行います。



1.日時 5月9日(土) 12時~13時 葬儀
 13時~15時 告別式(一般の方の弔問も受付いたします)
2.場所 東京都青山葬儀所(東京都港区)
3.喪主 栗原景子(妻)

なお、近親者のみで密葬を執り行いますので、
取材等はご遠慮いただけますようよろしくお願いいたします。
  


Posted by footstomp at 00:36Comments(0)ROCK・音楽