2008年12月01日
ラウドネス・樋口氏逝く。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081201-00000000-oric-ent
(樋口氏逝去の記事)
ギターの高崎晃と共に、日本を代表するメタルバンド『ラウドネス』を牽引し、破壊力抜群で、まさに痛快無比と形容するに相応しいダイナマイトなリズムを常にオーディエンスへ向けて放ち続けてきたドラマー「樋口宗孝」氏が30日、49歳の若さで肝細胞癌の為亡くなった。
一番最初に樋口氏を知ったのは、私が未だ禿げ頭の中坊だった頃だから、今を遡ること30年程前のこと。当時、ABCラジオで「ヤングリクエスト」という若者向けの深夜番組がオンエアーされていて(今では専ら朝の顔としてお馴染みの虎キチ・道上アナなどがDJを務めてはりましたね)、その中のコーナーのひとつである浪速のモーツァルトこと「キダタロー」先生が担当していた「スタジオ貸します」に現役高校生のバンドとして(その時、既にレイジーと名乗っていたと記憶しているが…)、樋口氏や高崎氏(其々藤井寺工業や大和川高校に通っていた。)が出演。当時としては桁外れの演奏力でディープ・パープルの「バーン」のカバーをプレイしては並み居るアマチュアミュージシャン達を蹴散らしてみせた放送を偶然に耳にしたのがきっかけ。その後、中学の友人の兄貴が大和川高校でキーボードの井上氏(ポッキー)と同級生とか、色々身近に感じる要素も相俟って、結構ミーハー的に「レイジー」の存在を意識していたことを覚えています。当時、ベイシティ・ローラーズやバスターなどイギリス産のアイドルバンドが人気の的で、レイジーも芸能界デビューした頃は、和製ベイシティといった演出で、可愛い衣装なんざをあてがわれて「赤頭巾ちゃんご用心」なんて曲歌ってました。(でも今、考えると凄い作家達がレイジーに楽曲を提供していて、何処かでCDを手に取り、クレジットを見て貰うと分かると思いますけど、松任谷由実とか都倉俊一とか、森雪之丞とか錚々たる面々の名前が並んでいます!)
その後、自らが持つ音楽観を爆発させたような、それまでとは全く趣きの違うロッキンなアルバム『宇宙船地球号』を発表し、レイジーは発展的解散を遂げ、片や「ラウドネス」となり、片や「ネバーランド」とアニメシンガー「影山ヒロノブ」と細胞分裂を見せることになります。
ラウドネスの姿を初めて目の当たりしたのは、これ亦、朝日放送の若者向けのテレビ番組「ヤングプラザ」(司会は島田紳助氏)で、確か楽曲としては「ラウドネス」と「バーニング・ラブ」を演奏したと記憶していますが。
その頃、またまたイギリス発ですが、鋼鉄の処女さんやデフ・レパード、サクソン、ガールなどを筆頭にしてニューウェイブ・オブ・ブリティシュ・ヘビィメタルなんて、オールドタイムなハードロックに、荒削りなパンクのスピードを融合させたような新たなサウンドを聴かせるムーブメントが台頭して来ており、丁度デビューしたタイミングが合致したこともあり、ラウドネスは日本発の次世代向けネオメタルバンドとして脚光を浴びることになった訳です。
で、これに続けと許り登場したのが、44マグナムやアースシェイカー、今ジャンゴやトラッシュで活躍中の「あっくん」こと後藤氏がギターを弾いていたラジャスに、マリノ、セクシャル、そしてハリースキュアリー、X-RAY、ジュディー&マリーの恩ちゃんのいたプレゼンスにメデューサ等々、実に枚挙に暇も無い程、一気に頭角を現すに至った関西メタルの軍勢。その先鞭を取り付けたのは紛れも無く、樋口氏率いるところのラウドネスであり、現在に至るまで、日本のメタル・ハードロックシーンをリードし、計り知れない貢献を尽くして来たと言えるのでは無いでしょうか。
それだけに今回の訃報は本当に残念。
今一度、病床から復活しては、筋骨隆々な四肢から繰り出される樋口氏の激しいドラムプレイを、是非とも味わってみたかったのですか。
繰り返しになりますが、本当に残念。
…何はともあれ合掌。安らかにお眠り下さい。
また樋口氏の死を悼み、ラウドネスの特集もしたいと思っています。
Posted by footstomp at 23:22│Comments(0)
│ROCK・音楽