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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年02月27日

Gary Moore  ゲイリームーア





皆さん今晩は!
これからの30分間は、このFM81.4、FM西大和からお届けさせて頂きます
ラジオでROCK!「Radio nowhere」

でお楽しみくださいませ。
お相手させて頂きますのは私、DJ PON- CHANG!(ぽんちゃん)で御座います!どうぞ宜しくお願い申し上げます!

それでは早速番組の方、進めていきたいと思いますが…。
さて、今晩もまたまた悲しいお知らせといいますか、当然もうご存知の方も多数いらっしゃることかとは思いますが、ブルースをベースにしながらも、アイルランド人ならではの叙情性を全面的にフィーチャアした『泣きのフレーズ』が同じ島国で生きる、われわれの心の琴線を揺さぶるのか、特にここ日本では圧倒的な人気を誇っておりましたスーパーギタリスト、孤高のハードロッカー
『ゲイリームーア』

様が今月6日、休暇で訪れていたスペインはコスタデルソルのホテルで、当初、大量飲酒を原因とした窒息死ではないかと報じられていたようですが、彼のマネージャー曰く、ジミヘンのように「ゲイリーはロックの犠牲者ではない」というように、実は心臓麻痺で唐突にお亡くなりになったというのが真相のようで、最近では新しいギターも購入し、子どものごとく意気揚々としていたようで、兎に角、58歳という若さでもあり、本当にまだまだ人生はこれからというところでの突然のリタイア。神の思し召しとはいえ、さぞかし当人も無念だったとは思いますが…。
…ということで、今回はまたまたぶち抜きでゲイリーの御霊を慰めるべく、特集で、ゲイリーの名を一躍ロックシーンに轟かせることになったシンリジィの名盤「ブラックローズ」の中から何曲か、また、その他ギター職人として(彼はボーカリストとしても大したものでしたが~)さまざまに手がけてきた仕事の幾つかを時間の許す限り、ご紹介したいと思います。まずは何はともあれシンリジィの名盤「ブラックローズ」から、スコット・ゴーハムとの流麗なるツインリードの調べも素晴らしい「やつらはデンジャラス」と「アリバイ」そして「キブ・イット・アップ」の3曲行きましょう。それではどうぞ。ゲイリームーアです。
●ゲイリームーア HP
http://www.gary-moore.com/
●ゲイリームーアWiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2













   




 
                                           

はい、まずはシンリジィ時代のゲイリームーアのプレイを聴いて頂きましたが、如何でしたでしょうか。シンリジィを知らない人でも十分楽しんでお聞き頂けたことかと思いますが。実にストレートで取っつき易い曲の構成が、このシンリジィの何ものにも代えがたい魅力で御座いまして~。ゲイリーにしてもテクニシャンでありながら必要以上に早弾きで押しまくることもせず、兎に角、印象的でメロディアスなフレーズをひとつひとつ丁寧に、安定感抜群の演奏で聴かせるといった具合で、こうしたところが、この日本で高い人気を勝ち得るひとつの原因だったようにも思いますが…。
で、このゲイリームーアさん。1952年4月生まれの北アイルランドはベルファスト出身のスーパーギタリストで、音楽は小学生の頃に始めたピアノがきっかけだったようですが、ピアノについては師匠に恵まれなかったこともあって途中で挫折。10歳の頃からギターを無手勝流、つまりは独学でスタートし、当時、人気だったリッチー・ブラックモアやエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、その中でも特にフリードウッド・マックの創設メンバーでもあったピーター・グリーンを一番の御贔屓にしていたようで、若かりし頃は熱心にコピーし、果てはプロデビューを夢見ていたようあります。
 1968年にスキッドロウというバンドに加入し、後のシンリジィの中心人物であるフィル・リノットと運命的な出会いを果たすも、このバンドでは3枚のアルバムを制作して脱退。その後、1970年にはゲイリームーアバンドを結成、さらに1974年からはフィルが結成したシンリジィに誘われ参加。一旦脱退するも、1977年に正式メンバーとして復帰し、先に紹介させて頂きました名盤「ブラックローズ」を1979年に制作。また一方でレインボーのメンバーとしてもお馴染みの鍵盤奏者「ドン・エイリー」や、ホワイト・スネイクや日本が世界に誇るハードロックバンド「バウワウ」のメンバーとしても顔を売ったベース奏者の二―ル・マーレイ等と共にジャズロック・バンド「コロシアムⅡ」などでもプレイ。多岐に亘る音楽活動を展開し、その輝かしいキャリアに磨きをかけていく訳です。
 1990年からは原点回帰。ブルースにのめり込み、さまざまなミュージシャン達と交流を重ねながら演奏活動を続けていた訳ですが、番組冒頭にもお伝えしたように、休暇滞在先のスペインで今月6日、心臓麻痺のため、非常に残念なことではありますが、帰らぬ人になってしまった訳です。
 ここに改めてゲイリーの冥福を祈りたいと思いますが…。
~というところで、それではここでまたまたゲイリーの曲を。
1978年発表のソロ第一弾アルバム「バック・オン・ザ・ストリート」に収録されている盟友フィル・リノットが手掛けた楽曲にしてゲイリーの代表曲でもある「パリの散歩道」をライブで、そしてフリーのカヴァー曲で「ウィッシング・ウェル」の2曲をお聴きください。どうぞ!



                                              

“ラジオでロック”「Radio Nowhere」
この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

E-MAIL 
post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
MAIL 郵便番号〒636-8555 FM 81.4(エフエムハイホー)FM西大和
“ラジオでロック”「Radio Nowhere」の係と明記して、お送りくだされば手元に届くかと思いますので、挙ってリスナーの方々、また宜しくお願い申し上げます!

さて最後も…本日はゲイリームーアの曲ということで、シンリジィの名曲でもあります、ゲイリーの早弾きが炸裂する「アウト・イン・ザ・フィールズ」、これをお掛けしながら、お別れしたいと思います。





今週で2月、如月も終わり。来週からは3月、弥生ということで、さらに気合いをいれて、頑張って行きますんでよろしくね~。
それではみなさんまた来週。時間になりましたら、ダイヤルはFM81.4、FM西大和にお合わせ頂き、この番組にお付き合いくださいませ。
お相手はDJ PON-CHANG!(ぽんちゃん)でした!
それでは…。シー・ユー・ネクスト・ウィーク!バイバイ! 





おまけ!



この曲、面白いですよ~face02

痛快!ドキッてする方も多いでしょう!お猿の次郎君のように反省!


(2011年2月27日オンエアー分) 


  


Posted by footstomp at 09:14ROCK・音楽

2011年02月20日

andymori~CDSHOP大賞2011、子どもBAND…





皆さん今晩は!
これからの30分間は、このFM81.4、FM西大和からお届けさせて頂きます
ラジオでROCK!「Radio nowhere」

でお楽しみくださいませ。
お相手させて頂きますのは私、DJ PON- CHANG!(ぽんちゃん)で御座います!どうぞ宜しくお願い申し上げます!

それでは早速番組の方、進めていきたいと思いますが…。
まず、最初のコーナーは、ミュージックカレイドスコープのコーナー。

今週からは通常のパターンということで…。

このコーナーでは、その時々の話題を、私の方でアトランダムにピックアップしては、それに因んだサウンドをオンエアーさせて頂くといった趣向のコーナーでは御座いますが。

さて、今年も全国の耳ざといCDショップの従業員の皆様方が、昨年発売されたCDアルバムの中から25作品を選出。さらに、その中から大賞及び準大賞3作品をチョイスしては、新たな年の幕開けを飾るという『第3回CDショップ大賞2011』の結果が、先月発表になりまして、当番組としては何時ものことながら、少々遅れてのお取り扱いとはなりましたが、今日は大賞を受賞した「andymori」のアルバム「ファンファーレと熱狂」をはじめ、準大賞に輝いたアルバムなどをピックアップしては、リスナーの皆さんとともに試聴会と洒落込んでみたいと思います。
それでは、早速、まずは準大賞の栄誉に浴した作品から聞いていきたいと思いますが…。
見た目はアゴ髭なんぞを蓄えて、肉食系といった武骨な印象を与える容貌ではあるものの、その歌声はどこまでも澄み渡る冬の空のような美しさで、パンクな私も、もっくん、ふっくん、やっくんの『シブがき隊』ではないですが、思わずゾッコン!といった塩梅で、不覚にも、その魅力にのされてしまいました秦基博さんで、今回、準大賞を勝ち得た全13曲収録のサードアルバム「ドキュメンタリー」から「朝が来る前に」、そして同じく準大賞に輝いた「綺麗な薔薇には棘がある」ではないですが、切なくも美しい旋律に反して、その毒のある言葉は聴く者の心に激しい動揺を与えるーそんな特徴を有する4人組、世界の終わりのファーストアルバム『EARTH』から「幻の命」を、さらに先月この番組でも取り上げましたが、オタクの匂いも満点の、垢抜けのしないルックスとは裏腹の(失礼!)凶暴性が、実にショッキングでもある、これまた準大賞の栄冠ゲットしました「神聖かまってちゃん」のアルバム「友だちを殺してまで」から「死にたい季節」の計3曲聴いてみたいと思います。リスナーの皆さんは果たしてどうお思いか。それではどうぞ!



●第3回CDショップ大賞2011(CDショップ店員組合)
http://www.cdshop-kumiai.jp/?page_id=385






●秦 基博
http://www.office-augusta.com/hata/










●世界の終わり
http://www.sekainoowari.jp/pc/










●神聖かまってちゃん
http://www.kamattechan.com/



                                            

如何でしたでしょうか?それぞれに個性的ではありますが、秦くん以外どうにも「歌い手の顔」がはっきりしないのが、私としては気になるとこでもありますが~

~と言うところで…
では続きましては、お待たせしました。今回セカンドアルバム「ファンファーレと熱狂」でグランプリ(大賞)に輝いた、2007年結成の男性3人からなるバンド、昨年はカナダツアー(インディーズバンド5組によるネクスト・ミュージック・フロム・トウキョウというパッケージツアー)を含め、年間70本のステージをこなしたという、レオ様のインテルに電撃移籍した『長友』クンばりに、今が旬とも言える「andymori」、このグループの充実のサウンドをお届けしましょう。曲は勿論、大賞受賞アルバム「ファンファーレと熱狂」から、そのアルバムのオープニングを飾るナンバー「1984」をおかけしたいと思います。
これを聴いて、どのような印象をお持ちになったか。またリスナーの皆さん、ぜひ、その感想を当番組宛てにメールでも何でもええし、お寄せ下さいね。よろしく哀愁、頼むよ~。
それではどうぞ!


●andymori
http://www.andymori.com/











                                                

続きましては、キーワードAtoZのコーナー。

このコーナーは、アルファベットを順に追いながら、たとえばその頭文字がAならAC/DCといった風に、新旧洋邦問わず、無作為にアーティストやバンドをピックアップしてご紹介させていただくコーナーで御座いますが。

さて、今週もその頭文字にKが来るアーティストということで、1979年、ヤマハ主催の音楽コンテスト「イーストウエスト」でグランプリを受賞、(因みに、この関東ローカルの「イーストウエスト」というコンテストからは、かの桑田佳祐やシャネルズ、そしてアナーキーに、爆風銃(バップガン)、エレファントカシマシと、後の日本のミュージックシーン、ロックシーンを熱く彩るバンドやアーティスト達が沢山デビュー致しております)で、その後、1980年にはキャニオンレコードからメジャーデビューを果たし、間違いなく、リック・デリンジャーやAC/DC、THE WHOなどの影響を多分に受けたハードなロックンロールを聴かせるバンドながらも、今では完全にザ・芸能人、俳優やコメンテーターとしての活躍がメインと化している『ジック』こと「うじきつよし」さんやドラムの山戸ゆうさんなどのコミカルなキャラや、運動量の多いパフォーマンスなどで、一般ピープルのハートもしっかりゲットした「子供ばんど(KODOMO BAND)」。1988年の活動休止から23年という歳月を経て、今年2011年の4月、何の前触れもなく突如「ヤマハ銀座スタジオ」のステージで復活するということで、今日は活動再開を祝う意味も込めて、ベスト盤から、私も大好きなリック・デリンジャーのカヴァーである「R&Rフー・チー・クー」をお掛けしたいと思います。それでは、ギター・ボーカル「うじきつよし」、同じくギター・ボーカル「谷平こういち」、ベース「湯川トーベン」、ドラムス「山戸ゆう」の4人からなる「子供ばんど」です。どうぞ!








●子供ばんど
http://kodomoband.net/



 


                                                 

ラジオでロック”「Radio Nowhere」
この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

E-MAIL 
post@fm814.co.jp
FAX  0745-33-3601
MAIL 郵便番号〒636-8555 FM 81.4(エフエムハイホー)FM西大和
“ラジオでロック”「Radio Nowhere」の係と明記して、お送りくだされば手元に届くかと思いますので、挙ってリスナーの方々、また宜しくお願い申し上げます!

さて最後は…ノックオンザヘブンズドアのコーナー。
蘇る古のスーパースターのコーナーで御座いますが、今日は2009年10月17日、長野県軽井沢のホテルでお亡くなりになった「ドノヴァン」こと、加藤和彦さんを偲びつつ、その彼が率いていた、日本が世界に誇るロックバンドであった「サディスティック・ミカ・バンド」の名曲と誉れも高きインストナンバーである「黒船 嘉永六年六月二日」同じく「黒船 嘉永六年六月三日」を続けて聞きながらお別れしたいと思います。









●加藤和彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%BD%A6










それではみなさんまた来週。時間になりましたら、ダイヤルはFM81.4、FM西大和にお合わせ頂き、この番組にお付き合いくださいませ。
お相手はDJ PON-CHANG!(ぽんちゃん)でした!
それでは…。シー・ユー・ネクスト・ウィーク!バイバイ! 
(2011年2月20日オンエアー分) 



  


Posted by footstomp at 10:24ROCK・音楽

2011年02月13日

「ミック・カーン」(JAPAN)追悼特集



井岡一翔!
日本史上最短7戦目で「WBC世界ミニマム級チャンピオン」おめでとう!!!!!










皆さん今晩は!
これからの30分間は、このFM81.4、FM西大和からオンエアーさせて頂きます、ラジオでROCK!「Radio nowhere」でお楽しみくださいませ。お相手させて頂きますのは私、DJ PON- CHANG!(ぽんちゃん)で御座います!どうぞ宜しくお願い申し上げます!
それでは早速番組の方、進めていきたいと思いますが…。

さて今週も、先週のキャプテン・ビーフハートさんに引き続きまして、「追悼」ということで、先月4日に癌の為、52歳の若さで亡くなった、英国のロックバンド・
JAPAN

のベーシストだった
ミック・カーン

氏にスポットを当てるべく、30分間丸々「ジャパン」の特集とさせて頂きたいと思います。
 では、「ジャパン」のベース奏者であったミックの追悼特集ということで、早速、番組の幕を開けたく思いますが、しかし、今の若い世代の人たちの中には、当然「ジャパンって何?郷ひろみ?」なんて全く頓珍漢で、殆ど予備知識なんぞ持ち合わせていない方も多いことでしょうから、なるべくバンド結成の1974年から解散に至る1982年までと言うことで、時系列に沿って、バンドのご紹介も兼ねつつ、楽曲の並びも考え、お届けして行きたいと、かように思っております。
…ということで、先ずは、元々はN.Y.を拠点に活動していた、かのマルコム・マクラーレンがマネジャーを務め、場末の安酒場に出没しそうなドラッグクイーン紛いの化粧をした「デヴィット・ヨハンセン」や「ジョ二―・サンダース」などが在籍していたことでも有名な、元祖パンクバンド「NY・ドールズ」に憧れを抱いていたという、デヴィッド・シルヴィアン&スティーヴ・ジャンセン兄弟によって結成された、このバンド「ジャパン」。その結成当初と言いますから、1974年当時に遡ることとなりますが、その頃の音ということで、デビューアルバム「果てしなき反抗」から、そのタイトルチューンであります「果てしなき反抗」(ADOLESCENT・S●X)と「アンコンヴェンショナル」、そして1978年発表のセカンド「苦悩の旋律」から「オートマチック・ガン」の計3曲を聴いて頂きたいと思います。
それでは~本日はミック・カーン追悼特集ということで、JAPANの音を聴いてください!どうぞ!















★ミック・カーンHPにアップされたコメント ……………………………………………………
                                                
24th July 1958 - 4th January 2011
It's with profound sadness that we have to inform you that Mick finally lost his battle with cancer and passed away peacefully at 4.30pm today, 4th January 2011 at home in Chelsea, London. He was surrounded by his family and friends and will be deeply missed by all.
Posted: 4th January 2011
                                                    
リッスンジャパン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110105-00000004-lisn-musi
ミック・カーン公式サイト
http://www.mickkarn.net/



   



 ハイ!ということで~
先ずはデビュー当初のグラマラスなヴィジュアルで、ファンキーながらも荒々しきギターロックを演奏していた頃の「JAPAN」で3曲聴いて頂きましたが…。
本日は、先月4日に亡くなったジャパンのベース奏者だったミック・カーン氏を偲んで、ジャパンの特集をお送りしている訳ですが。
ジャパンのベースでありました「ミック・カーン」というこの人物は、元々、現在はイギリス領ではなく、ギリシャ人による単一独立国家となっておりますが、その昔はトルコ人なども仰山住んでいたとされる「キプロス共和国」生まれ(ウムム…どおりで濃い顔だと思ったわ!ミック)の方だったようで、3歳の頃に一家でイギリスに移住。その後、ハイスクール時代に知り合ったデヴィッド・シルヴィアンに彼の弟ジャンセン、はたまたリチャード・バルビエリ、ロブ・ディーンなどの美し過ぎる男たちとともに「JAPAN」を1974年に結成。ここ日本では、音楽専科(懐かしいなぁ)やロックショウ(東郷かおる子編集長)JAM(前の甲斐さんの奥方が編集長!高橋まゆみさん)などの表紙を飾りまくり、当時の腐女子達の間では早くも話題沸騰!黄色い歓声を一身に集めるアイドルバンドとして、ベイ・シティ・ローラーズに続く第2弾というか、クイーンやチープ・トリックなどと同じような感じで、一気にヴィジュアルの良い外タレ兄ちゃんとして華麗にスターへの階段を駆け上がった訳ですが。しかし、日本とは違い、そんな彼等に冷徹だったのは母国「エゲリス」の方で御座いまして、当時は、どん底の経済情勢を背景として、世紀のアンチ・ジーザス・クライスト・スーパースター、安全ピンにスパイキーヘアといった反抗的ないでたちもギガ攻撃的な“腐った奴”ジョニー・ロットンをフロントマンとする「セ●クス・ピストルズ」を筆頭に、THE CLASHなどのパンクバンド達が暴れ馬のようにロックシーンを席巻しているような状況でしたから、N・Yドールズのフォロワーといいますか、まさにT・レックスのマーク・ボランを彷彿させるような、骨太なパンク連中に比べると「ヨヨ…」とした線の細い装いのバンドだったJAPANは見事「際物扱い」で、完全に末席に追いやられ、蚊帳の外状態とされた訳です。















そうした扱いの中、鳴かず飛ばずの時期を、極めて地味に掻い潜リ乍ら、スティーブ・ストレンジやソフト・セル、ウルトラ・ヴォックス、そしてお馴染み「デュランデュラン」や「スパンダー・バレエ」を主役に据えて、その後、母国「イギリス」でギガ爆発したニューロマンティックスのムーヴメントが台頭した頃に、漸く、その華麗なルックス(この頃はデビュー当初に比べるとかなり、そのグラマラスなルックスも洗練させていましたが~)やサードアルバム「クワイエット・ライフ」の頃から、それまでのギターを前面に打ち出したハードでファンキーな独特のウネリを持つ猥雑なロックサウンドから意匠替えし、電子楽器を前面にフューチャアした、内省的でどこか冷たい質感乍らも、唯一無二とも言える、実に個性的な彼らならではの「ヨーロピアン・ポップ」にも注目が集まり出して、日本のみならず、本国英国でもやっと正当な評価を受け、正真正銘のスーパースターに上りつめようとしていた矢先の1982年、彼等は本当のクライマックスを待たずに自ら「解散の道」を選び、シーン最前線から消えていきます。



















以降、メンバーは別々の道を歩み、本日の主役であるミックは、バウハウスのピーター・マーフィーとのユニット「ダリズ・カー」や「ロンリ―ユニバース」「JBK」、またルナシーのSUGIZOのバックなどで活動したものの、目立った形で、改めて陽の当たる場所に登場することもなく、で昨年から治療に当たっていた進行性の癌の為、52歳の若さながら逝ってしまいました。
フレットレス・ベースを使い、パーシー・ジョーンズを思わせるようなダウン・チョーキングを多用したオリジナリティー溢れる強烈なプレイと、真っ赤なオカッパヘアー(マッシュルーム・カットか!いや奇妙な長髪…)で黙々とプレイする初期のミック、そして一転、髪の毛も短く刈り込み、さっぱりした風情でダンディーに決めていた晩年のミック。(最近はどうだったのかな~)。サックスを吹く立ち姿も良かったなぁ~。
どちらも未だ鮮烈なインプレッションで、私のこの両の目に焼き付いております。本当に春から残念なことでは御座いますが…。
~ということで、今度は中期から晩年にかけてJAPANで、1979年発表の3枚目のアルバム「クワイエット・ライフ」からタイトルチューンを、そして同年シングルのみで発表された「LIFE  IN TOKYO」の2曲を聴いてください。それではどうぞ!

JAPAN WIKI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)

                                               

“ラジオでロック”「Radio Nowhere」
この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
今から申し上げます宛先に是非、あなたの生の声をお聞かせください。

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“ラジオでロック”「Radio Nowhere」の係と明記して、お送りくだされば手元に届くかと思いますので、挙ってリスナーの方々、また宜しくお願い申し上げます!







それでは、本日は最後もミック・カーン氏を偲んでJAPANのナンバーをお掛けしてお別れしたいと思います。曲は1982年発表の実質ジャパンとして最後のスタジオ盤となった「錻力の太鼓」から「ジ・アート・オブ・パーティーズ」を選ばして頂きました。
それではみなさんまた来週。時間になりましたら、ダイヤルはFM81.4、FM西大和にお合わせ頂き、この番組にお付き合いくださいませ。







お相手はDJ PON-CHANG!(ぽんちゃん)でした!それでは…。シー・ユー・ネクスト・ウィーク!バイバイ! 


(レディオノーウェア2011・2・13オンエアー分)
  


Posted by footstomp at 14:07ROCK・音楽

2011年02月06日

キャプテン・ビーフハート





皆さん今晩は!
これからの30分間は、このFM81.4、FM西大和からオンエアーさせて頂きます、
ラジオでROCK!「Radio nowhere」

でお楽しみくださいませ。お相手させて頂きますのは私、DJ PON- CHANG!(ぽんちゃん)で御座います!どうぞ宜しくお願い申し上げます!
それでは早速番組の方、進めていきたいと思いますが…。
さて、早くもグレゴリオ歴の2番目の月、旧暦では如月「きさらぎ」のほか、いんしゅん(殷春)、うめみづき(梅見月)、けんうづき(建卯月)、ちゅうしゅん(仲春)、なかのはる(仲の春・中の春)、はつはなつき(初花月)、ゆききえつき(雪消月)、ゆきげしづき(雪消月)、れいげつ(麗月・令月)、をぐさおひつき(小草生月)なんていう異名もあるとされる「2月」に早くもなりまして、「光陰矢のごとし」とは、誠に言い得て妙な文句だなぁ~と、改めて感心するとともに、しみじみと噛み締めている次第では御座いますが…。
で、本日はと申しますと、先月から予告させて頂いておりましたように、昨年12月17日、アメリカはカリフォルニア州内と言いますから、1982年に音楽業界を引退してからは、オレゴン州境から数マイルしか離れていないカリフォルニアの辺境に小さな家を確保し、隠遁者の如く、前衛的なドローイングなどの芸術作品を制作しては「画家」として活動を続けてきたようですし、多分そこでお亡くなりになったのではないかと推察するところでは御座いますが、1941年、カリフォルニア州はグレンデールで生まれ、一方の天才であるフランク・ザッパとはハイスクール時代からの盟友で、その芸名についてもザッパが名付け親になったとされる本名ドン・ヴァン・ヴリード、音楽業界では
「キャプテン・ビーフハート」

(牛心隊長)として、既成概念に囚われることなく自由奔放な作品を多々発表し、特にその作品群の中でも超個性的と評された「トラウト・マスク・レプリカ」の作風は、後のパンク世代に「何をやっても良いんだ」とばかりに、多大なる影響と自信を与えたとされておりますが、本日はそんな功績を遺しつつも、脳や脊髄の神経線維を覆っている髄鞘(ずいしょう)が壊れて発症すると言われている「多発性硬化症」の合併症の為に、69歳で亡くなってしまった「キャプテン・ビーフハート」、その人を取り上げては、追悼の意味で「特集」とさせて頂きたく思います。
今でこそ1960年代後半、アメリカは西海岸で巻き起こったサイケデリック・ロック・ムーブメントの最重要バンドのひとつに数えられるキャプテン・ビーフハート率いる「ヒズ・マジック・バンド」ではありますが、アメリカのレーベル「ブッダ」からデビューした当初は、伝統的なシカゴスタイルのブルースなどの音を真っ当に踏襲し、それをダイナミックに体現するビートバンドとして活動しておりまして、当時の音楽業界の関係者の間では「史上最強にして最高のホワイト・ブルース・シンガーになるだろう」と期待され、その将来性を高く買われていたそうで御座います。それが証拠に1965年に発表となったデビューアルバム「セイフ・アズ・ミルク」は、あのジョン・レノンのフェイバリット・アルバムの1枚だったというエピソードもあるぐらいで、事実「セイフ・アズ・ミルク」に耳を傾けますと、繰り返し聴こえてくるのは、オーソドックスなブルースや、R&Bの影響を感じさせる抒情的なナンバーなどで、若干ではありますが、その後の実験的でアバンギャルドな変化を感じさせる片鱗というか、要素も全く見受けられない訳ではないですけども、それでもこの時点では、大多数の人々がブルースシンガーとしてのビーフハートの将来の姿に思いを馳せ、その道での「ブレイク」を予想したとしても、何ら責められるべき理由にはならないと、私自身思っておりますけども…。
ハイ、ということで~
それでは、デビュー当初の「理解し易い」「聴き易い」ビーフハートの楽曲を、先ずはお送りするということで、ジョン・レノンのフェイバリット・アルバムでもあったという1965年発表のファーストアルバム「セイフ・アズ・ミルク」から、素敵なナンバーを4曲ほどお届けしたいと思います。
先ずはスライドギターの音色で始まる、まさに王道を行くブルースと言った趣の強い「Sure`Nuff`N Yes I Do」(シュアー・ナフィン・イエス・アイ・ドゥー)と、ダンサブルに弾むビートが何ともカッコ良い「ジグザグ・ワンダラー」、そしてファルセットボイスのコーラスと哀愁に満ちたビーフハートの歌声が心地よく耳に馴染みます「アイム・グラッド」、更にもう一曲ということで、キャプテンの吹くマウスハープと、地を這うようなルーズな乗りが独特のウネリを醸し出している「プラスチック・ファクトリー」、以上の4曲をお届けしたいと思います。
それではどうぞ!
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドです。











キャプテン・ビーフハートWiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88





                                           

如何でしたでしょうか?発表されたのが1965年と言うことを考えれば、これはこれで、その作品のクオリティーの高さにも、掛け値なしで拍手を送る事が出来るとは思いますが。

さて、続きましてはキャプテン・ビーフハートを一躍、音楽業界における極北の偉人(異人?アウトサイダー)、カリスマに変貌させ、後のパンクロッカーや前衛音楽を志すミュージシャン、たとえばXTCやソニックユース、はたまたザット・ペトロール・エモーションやトム・ウェイツ等々のアーティスト達に多大なる影響を与えることになった、1969年発表の2枚組、フリージャズやエスニック・ミュージック、はたまた現代音楽など、ありとあらゆる音楽的な要素をミックスしては、これまでの音楽における「既成概念」を完膚なきまでに打ち砕くような作品に昇華させ、それも28曲(!)というボリュームで聴く者に迫りくるという、正にとんでもないモンスターアルバムである「トラウト・マスク・レプリカ」をご紹介したいと思います。
このアルバムは、8時間半でビーフハートが一気呵成にピアノで28曲を書き上げて、その後1年近くバンドで、リハーサルと録音に時間を費やし製作されたと、今もって実しやかに、あちこちで伝説の如く語られているようですが、しかし当時を良く知る、ドラマーとしてマジックバンドに関わっていたアート・トリップ氏によると「これは事実ではない」とのことで、実際には1年近くスタジオでマジックバンドの面々が28曲を練り上げて、8時間半でバンドパートを録音し、その後、ビーフハートがボーカルを被せて行くというプロセスを経て完成させたというのが真実のようです。なせ、このようなことになったかと言えば、その一番の理由は予算、お金とのこと。このアルバムのプロデューサーだったフランク・ザッパも、この頃は余りお金を持っておらず「極力無駄使いはしたくない」という思いが強く、結果、こうした流れになったそうです。しかし、それが故にアート氏曰く、「そうした背景もあり、このアルバムにはかなり杜撰な箇所も残っており、1970年初頭に再度、自分がじっくりとアルバムを聴き直し、全てのパートを譜面に起し直したところ、ライブでの演奏は格段良くなった」と語るとともに、併せて「じっくりと時間をかけて製作されたものとして、私個人としては、このアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を聴きたかった」とするコメントも残しています。
それでは、「百聞は一見」ではないか、もとい「一聴」にしかずということで、問題のアルバム「トラウト・マスク・レプリカ」をお聞き頂きたいと思いますが。
どうだろう…。人によっては単なる不協和音、神経を逆撫でするだけのノイズという風に感じられるかも知れませんが、まぁ世の中にはこういうものも存在するということで、鷹揚な気持ちを持ってご容赦願いたいとは思いますが。(笑)ヨロピク!
~ということで、このアルバムから先ずは2曲お届けしたいと思います。
曲は「Moonlight On Vermont」、「China Pig」です。
どうぞ!
                                           








“ラジオでロック”「Radio Nowhere」

この番組では皆さんからのご意見、ご感想等々お待ちしております。
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さて本日は最後も「キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド」でアルバム「トラウト・マスク・レプリカ」から、「ベテランズ・デイ・ホッピー」をおかけして、お別れしたいと思います。









それではみなさんまた来週。時間になりましたら、ダイヤルはFM81.4、FM西大和にお合わせ頂き、この番組にお付き合いくださいませ。
お相手はDJ PON-CHANG!(ぽんちゃん)でした!それでは…。シー・ユー・ネクスト・ウィーク!バイバイ! 

(レディオノーウェア2011・2・6オンエアー分)




P.S.
※2月2日。あのザ・ホワイト・ストライプスが解散!残念無念…です。






ホワイト・ストライプスは、本日2011年2月2日、公式に解散し、今後新たなレコーディングやライヴは行なわないことをアナウンスします。

 解散する理由は、音楽的な意見の相違ではないし、音楽を続ける意思がなくなったわけでも、健康上の理由でもありません。メグとジャックは共に健康であるし、気分もよく感じています。

 解散は多様な理由からなるものですが、一番大きな理由は、このバンドの美しさと素晴らしさをこのままの形で残しておきたいということです。

 メグとジャックは、ファンのみんなに感謝をしています。そして、ホワイト・ストライプスとしての13年のキャリアをこんなにも濃密で素敵なものにしてくれた、みなさんの熱いサポートにはほんとうに敬服しています。

 Third Man Records〉は引き続きバンドの未発表音のライヴ音源やスタジオ音源を、レコード・クラブや一般の発売方法でリリースしていく予定です。

 メグとジャックは、この決断がファンに悲しみをもたらさないことを祈り、また、これはバンドが創作してきたアートと音楽を尊重したポジティヴな前進だと思ってもらえることを願っています。なぜならこの決断は、ホワイト・ストライプスの作品を共有してくれたファンのみなさんの気持ちも最大限に考え、尊重してなされたものでもあるからです。

 そしてこれがバンドからの最後のメッセージです。

 「ホワイト・ストライプスはもうメグとジャックのものではないんだ。ホワイト・ストライプスは、これからはみんなのものになる、そしてみんなはそれを好きなようにしてほしい。人々が望めば、音楽とアートの美しさは永遠に残るだろう。この素晴らしい経験を一緒にしてくれてありがとう。そのみんなの気持ちは僕らのなかで永遠に消えることはないし、そのことには本当に感謝しているよ」

心より
メグ&ジャック・ホワイト
ホワイト・ストライプス



  


Posted by footstomp at 08:52ROCK・音楽